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EXIT DESIGN (for a blog)::『ミシュレティア』 1-3 感情と旋律(3)

『ミシュレティア』 1-3 感情と旋律(3)

(承前)

 ようこそ、とは言っても別に校内を紹介して回ってくれるわけでもなく、僕はまた少女の後ろを黙ってついて従うことになった。女子高といっても僕の知っている学校と大して変わるわけではない。夏休みで人気のない校舎はありふれた学び舎でしかなかった。別に特別何かを期待したわけではなかったけれど、実際に目にしてみると妙に納得させられるところと、何か考えさせられるようなところがあった。それはつまり実体験を通して女子高という存在が僕の中で実在するようになったということなのだろう。もっともそれは夏休みの人気のない女子高という偏った実体験をベースにした実存でしかないのだけれど。
 僕がそのように考え事をしながら歩いていると突然立ち止まった少女にぶつかった。僕が謝ろうとしたらそれを遮るようにして少女が口を開いた。
「ここよ」
 そう少女が指し示したのは音楽準備室と書かれた部屋だった。
 その部屋には所狭しと様々な楽器や、小学校の頃に見覚えのあるような肖像画といったものが並べられていた。高校の音楽の時間がどのようなものであったのか、まだ数年前のことでしかないのにもかかわらず、僕には思い出すことができなかった。やれベートーベンやらバッハやら、そういった音楽家のことを高校にもなって再び聞かされた覚えはなかった。だからそういった肖像画があることが意外に思えた。
 僕がそうして部屋を眺めていると、少女は僕に背を向けて、部屋の四分の一ぐらいを占拠しているグランドピアノの前に静かに座り、そのまま沈黙して全く動かなかった。全くの沈黙であったが、少女の背中は雄弁に何かを語りかけているように思えた。その何かは僕にも沈黙を強要し、同時に動くことさえも禁じさせた。僕は緊張に包まれながら少女を見守った。
 そのまま時が永遠に失われてしまうのではないかと思うほどの沈黙が暫く続いた。汗が頬を伝い、ポトリと音を立てて落ちる。沈黙と緊張が聴覚を研ぎ澄ませていた。呼吸の音が増幅して聴こえる。
 突然、大きな音が響き渡った。
 ピアノが奏でる音の洪水。でもそこから流れてくるのは音色というには激しすぎるもののように感じた。それは鼓膜を透過して直接感情を揺さぶった。視界がぼやけて、少女の存在が物理的な距離を無視して彼方へと飛んでしまったような感覚に陥った。不思議な感覚だった。僕も少女も全く動かないのに、その間を隔てる空間だけが歪み、膨張していった。やがてそれは距離という概念から解放され、隣接性を失い、限りなく近く、同時に限りなく遠い存在として僕らを繋いだ。頭の中に少女が入り込む。僕はそれを拒むことは出来ない。少女と僕の意識が混ざり合い、ひとつになっていく。自らが失われてしまうのではないかと不安になった。そこに存在するエネルギーに比べると自分があまりにもちっぽけに感じられた。このまま少女にとりこまれて、二度と自分に戻れなくなってしまうのではないかという思いがよぎった。それでも全てを受け入れようと思った。そう思うと少女の存在がそれまで以上に心地良く感じられた。徐々に一体感が増し、そこに温もりが生まれていく。僕らは完全にひとつになった。
 物語の力。それは感応するための距離を規定し直し、曖昧な感覚を共有するための力。でもそれは不完全な力だ。不完全ゆえ、脇道へ逸れて予定された感情と違うところへと繋いでしまう。でも少女の奏でる音色は完璧だった。道筋も何もない。それは直接感情と感情を繋ぎ、曖昧模糊としたものをそのままストレートに伝えた。ただ、そのエネルギーはあまりにも大きい。多くの人はそれを拒み、遠ざけるだろう。
 僕はそのエネルギーに圧倒され、意識を失ってしまった。

「よかった。このまま二度と目を覚まさなかったらどうしようかと思っちゃった」
 それが僕が目を覚ました時に聞いた第一声だった。
 柔らかく暖かな感触が頭の下にあった。数々の楽器に包まれた部屋の中、少女は膝枕で僕を解放してくれていたのだ。僕はそのことに気恥ずかしさを覚え、立ち上がろうとした。
「だめ。急に動いてまた倒れちゃったら帰れなくなっちゃう」
 少女はそう言って僕を押さえつけた。窓の外では既に陽が翳り出していた。
「すごいね」と僕は言った。
 少女は何のことかわからない様子で僕を見つめてきた。間近で見る少女の顔は綺麗で、ますます恥ずかしくなってしまった。目を背けながらピアノのことだと僕は言った。
「褒められたの、久しぶりだなー」と少女は言った。
 僕はそれを意外に思った。あんなすごいピアノは今まで聴いたことがなかった。音楽が感情を揺さぶるものだというのは知っていた。でもあれだけ激しいものは初めてだった。
「ちっちゃい頃はね、みんな褒めてくれたんだよね」と少女は言った。「でもね、大きくなるに連れてみんな私のピアノを煙たがるようになったの。気持ち悪いって。それで辞めちゃったの。技術的にも特別上手っていうわけでもなかったし。私のピアノを好きだって言ってくれたのはお父さんだけだったの。でもあんまりお父さんと一緒に過ごすことってなかったし、周りに煙たがられながら続けるものでもないと思ってたから」
そこで少し沈黙を挟んだ。
「今年に入ってピアノを弾いたのは今日で二回目。ホントはもっともっと弾きたかった。ピアノを弾いてるといろんなことが忘れられるの。きっとセンセの言う物語の力と同じなんだと思う。ピアノを弾くことで私は救われるの。でもね、誰も私のピアノなんて聴いてくれないの。だから誰にも届かないし、弾いても孤独になるだけだった」
 少女の頬を涙が伝い、僕の額を濡らした。
「もし僕でよかったら、また聴かせて欲しいな。また途中で倒れちゃうかもしれないけど」
「ダメ。今度は絶対最後まで聴いてくれなきゃ」
 少女は泣きながら笑い、そう言った。

(続)
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